某老舗レストランで食事。別のテーブルでは子供が食事に飽きて狭い店内を走り回ったり、ドアから店の外に出たり入ったり。少し前にもこれと同じことがあった。母親はまだ食事の途中なのか見て見ぬふりだが、時々思い出したように走り回る子供に「○○〜(←子供の名前)」と言う。
名前を言うだけ。名前を呼んだ後に、例えば「走っちゃダメでしょ」とか「静かにしなさい」とか「ちゃんと座って食べなさい」とかいったことは一切言わない。
少し前にフィットネスクラブのロビーでも同じことがあった。幼稚園児くらいの男の子たちが数人、ソファで新聞を読んでいる私を挑発するかのごとく、私の側でソファの上を走り回ったり飛び跳ねたり背もたれによじ上ったりする。やりたい放題。だが隣のテーブルにいる母親たちはお喋りに夢中で、子供たちには一瞥もくれない。
おい、いいかげんにしろや、と母親どもを睨みつけたら、それに気付いた母親の一人が子供に向かって「△△〜」とだけ言った。「△△」は子供の名前。しかしそれがあまりにもDQNネームだったので、最初は子供の名前を呼んでいるのだとは気づかなかった。


こういう場面で親が「○○〜」「△△〜」と子供の名前だけを言うのは、子供に注意を促しているということらしい。「あのおばちゃんが怒って睨んでるわよ〜」とかだろう。
あちこちでいろいろと聞いたり読んだりするに、近頃は子供に対しては、とにかく徹底して“優しく”接するのが善しとされているようだ。子供もそれに慣れているから、自分の親以外の大人にちょっと何か言われただけで(親子共々)パニックになったり激怒したりすることもあるらしい。
子供がコンビニのゴミ箱にゴミを投げ入れたら箱に入らずに地面に落ちたが、知らん顔をしてそのまま立ち去ろうとして、店の人に「ダメだよ」と諭されたら、その子供は怯えて泣き叫び、親は激怒して、そのお店でなくコンビニチェーンの本部に電話をして店の“対応”について罵倒しまくった、なんて恐ろしい話もあったそうです。


他人から見て、今は親は子供を叱るべき状況だろうという時、親が子供の名前を口にするだけで、「ダメでしょう」とか「静かにしなさい」とかいったように具体的な言葉で指示をしないのは、それが親として正しく子供に“優しく”接しているということなんだろうと思う。
「それをしてはダメ」と否定的な言葉を使えば、子供の全人格を否定したことになり、「〜しなさい」と言えば、子供に対して親という立場から強権的な命令をした、ということになるんじゃないだろうか。大げさというかバカみたいだが、あながち外れてもいないと思うが、どうでしょうか。


そこここでバカ親子を目にするたびに暗澹とした気持ちになる。どこぞの国の首相さんはご自分の国を「美しい国」にしたいらしいが、遠からず「まともに機能すらしない国」になる、というほうが現実味を帯びているような気がする。


…と、気の滅入りそうな話だったので気分転換。写真はそのレストランに置かれたジュークボックス。現役です。相当な懐メロと一緒に、マドンナの「ボーダーライン」やフィル・コリンズの「ススーディオ」などがあるので、80年代半ば、レコード盤がCDに取って代わられる頃までは曲の入替があったようです。







一曲プレイするのに日本円でいくらなのかは、見てくるのを忘れました。100円くらいですかね?


せっかくジュークボックスの話題で気分転換できたかもしれないのに、また別の話を思い出したので書いておく。しばらく前にスターバックスで小さな男の子が店内を走り回ったり靴のままソファに上がってゲームをしたりしていた。母親らしき若い女性は読書に夢中で子供は眼中になかったようだ。そのうちに子供はどこへ行ったのか、姿が見えなくなったが、母親は全く意に介す様子がなかった。
その男の子が着ていたTシャツの背中に No Rules と書かれてあったのを私は忘れない。
そしてTシャツといえば、フィットネスクラブで見た女性のTシャツの背中には YOU NEVER SATISFY ME とあった。一体どうしろというのか。自分勝手な人達ばかりだ。