以前、某短大で仕事をしていた。職員としては学生達とは学校の授業や行事その他についての話をするだけだが、何かの機会に学生とか職員とかいったこととは全く無関係な個人レベルの話をすることもあった。あれやこれやと話をして、学生が○○さん(私)は何歳なんですか?と聞く。私が3x歳(当時)、と答えると、彼女らの反応は必ず「えーっ!(そんな歳には)見えないー!」とか「若いー!」とかだった。
私は別段、実際の年齢より老けて見える格好をしているわけでも、逆に妙に若造りしているわけでもなく、歳相応だと思っている。確固たる自信はないが多分言動も歳相応だと思う。では何故彼女らは私の返事にああも驚いて前述のようなことを言ったのか?それは二十歳そこそこの彼女らがイメージしている「3x歳の女性」というのが、もっとくたびれたババァだからだ。必ずしもババァではないにしても自分の母親あたりをイメージしているかもしれない。
しかし現実にはたいていの30代女性は、彼女らが思い浮かべるほどにはしょぼくれて老醜を晒してはいない。私の返事に、自分の抱くイメージと現実とのギャップが素直な驚きになって表出したのが「そんな歳には見えない!」や「若い!」といった言葉だ。
(実際私がもっと老けて見えていたので「見かけの年齢>実年齢」と知って驚いたという可能性も捨てきれないが、それは今は横に置いておく。)


学生が私に「若いですね」という意味のことを言ったのは、ただそう感じたから口にしただけで、他意も何もなかったと思う。


「若いですね」というのは一見褒め言葉のように見えるが、実際にこう言われて嬉しいことがどれだけあるだろうか。特に女性が容姿(肌が美しいとかプロポーションが良いとか)について言われた時だとか、中高年の人がスポーツを頑張っている時だとか、意外と限られた場合でしかないんじゃないだろうか。
必ずしも褒め言葉にならない(受け取られない)のは、そこにはあくまで「若い(=年齢が低い)=良い・美しい」ということが前提としてあるからだ。「若いですね」と褒めたり感心している人にそんなつもりがなくても、「若いですね」と言うことは「年齢のわりには、ね」という相対的評価でしかない、ような気がする。考えすぎか。


「若いですね」と言われて嬉しいどころか不安になることもある。いい歳こいて中身は空っぽなんだねと言われたのか?と受け取るしかないような場合だ。「若い(=年齢が低い)=(普通は)経験値が低い」んだから、この歳になって「若い」と言われるとは、自分は何十年もの年月を無為に過ごしてきたのだろうか、何の経験もなければ、それに裏打ちされた知識や常識の蓄積も出来ていないのだろうか、と思ってしまう時だ。
25歳の時、とある英語試験の開始前のひと時、近くにいたフランス人女性と話をしていた。どこの学校に通っているのか、どんな勉強をしているのかなど、詳しいことは覚えていないが結構いろいろな話をした。彼女が私に年齢を尋ねて、25歳だと聞いた時、彼女は本当に驚いてしばらく絶句していた。しばらくしてようやく口を開いて「そうは見えない」と言った。欧米人から見るとアジア女性は概して実際の年齢より若く見えるようだから、それで驚いたのかもしれない。が、ひとしきり話をした上でああも驚いたということは、私の年齢や外見ではなく、「25にもなってその程度の話しかできないのか?」ということに驚き呆れていたんじゃないかと思えて仕方ないのだ。今でもこの時のことを思い出すと悶々とする。
…話が反れた。そんなわけで褒め言葉のつもりであってもむやみに「若いですね」の一言で済ますようなことはやめたほうがいいと思う。特に若い人が自分より年上の人間に向かって言う時には注意が必要だ。言われて喜ぶとは限らない。勝手なことを言うようだが。


こんなことをくどくど書いたのは、今日の毎日新聞のサブ紙に掲載されていた高木美保さんのインタビューを読んで、何なんだ?と思ってしまったから。
高木美保さんは(私は彼女のことを良く知らなかったので、記事によれば)、売れっ子女優だったが多忙がたたって体調を崩したことをきっかけに、女優の仕事を離れて文筆やコメンテータの分野に転身。栃木県那須で農作業を始めてからは環境とそれを取り巻く問題にも真剣に取り組むようになった。東京と那須を往復して仕事をこなす傍ら、週2回の英会話レッスンも。
そんな彼女へのインタビューを締めくくる、高木さんを評しての筆者の言葉は「43歳とは思えない、若さの秘訣は旺盛な好奇心と反骨精神にありそうだ」(原文ママ。句読点の位置が変だぞ)。


「43歳とは思えない若さ」…


毎日新聞の記事には末尾に必ずその記事を担当した筆者の名が添えられているが、これはサブ紙だからか、署名がない。このインタビュー記事をまとめたのは誰だろう。勝手に推測するけど、きっと若い人。20代か、せいぜい30代初めくらいの人じゃないか。
高木さんは東京と那須とを行き来し、エッセイも書けばテレビ番組でコメントもする。身体を壊したことで自然の大切さを知り、農作業で自給自足を目指す。環境への意識が高まり、環境問題をライフワークと捉えるようになった。海外の俳優のインタビューなど、英語を使う仕事の依頼が増えても英語に自信がないから勉強している。
高木さんがこれだけ精力的に広いフィールドで活動できるのは、彼女が43歳だからだ。病気、自然との出会い、これまで関心のなかった問題への開眼、仕事で思うように英語のできなかった口惜しさ。彼女を衝き動かすエネルギーを産み出しているのは43年間のこういった様々な経験の蓄積だ。彼女は43歳の人間にしかできないことをしているのだ。


ここで筆者の言う「若さ」とは、「動き回るのは20代の人間の方が40代の人間より疲れない」という程度の至って低レベルな認識だ。私が言うのもナンだし悪いけど、頭悪そうだ。この筆者氏が40代の女性について一体どんなご高見をお持ちなのか、機会があればぜひ聞いてみたい。


(ずいぶん擁護しましたが私は特に高木美保さんのファンというわけではありません。)