Madjiru2007-02-25

「ウルトラの時代」というトークショーに行った(正式には「2007那覇市文化協会あけもどろ総合文化祭 総合部会文化フォーラム 特別企画 金城哲夫再び第二弾 『ウルトラの時代』」。ゲストは飯島敏宏監督、上原正三さん、桜井浩子さんの3名。
会場ロビーでは金城哲夫に関するパネル写真展示(その前日まで「県立南部医療センター」内で展示されていたもの)があり、ウルトラシリーズの歌のCD【2月27日追記:ウルトラ☆オールスターズ「ウルトラマン 40YEARS LATER」】が流れ、CDやDVD(RBC琉球放送製作「金城哲夫 西へ!」)を販売している一角にはウルトラ戦士達のポスターが何枚も張られ、金城哲夫が遺した映像作品のソフトと共にウルトラのキャラクター製品なんかも少しだけど売られ、と、思っていたよりもウルトラウルトラした雰囲気だった。ただ、「ウルトラマン」のイベントだからと小さなお子さんを連れてきたらしい家族連れも多く、大丈夫かな?とやや不安にもなった。


まずは首里少年少女合唱団による「ウルトラマンの歌」「ウルトラセブンの歌」「帰ってきたウルトラマン」の合唱。こうして聴いてみて、どの歌も本当に名曲だなと改めて思った。それは私がウルトラファンだからとか懐かしい思い出だからとかいったことでなく、楽曲として優れているということ。以前別のイベントで、「ウルトラセブンの歌」を作曲された冬木透先生が、円谷一さんは「子供達には良い音楽を!」と常々言っていたというお話をされていたのを思い出した。
「♪帰ってきたぞ 帰ってきたぞ ウルトラマン♪」の時など、子供たちが揃ってポーズを決めるのがちょっと恥ずかしそうだったのがご愛嬌。


スクリーンでは、お馴染みの「ウルトラマン生誕40周年」のロゴ映像に導かれ、初代ウルトラマンからメビウスまでのウルトラ戦士達が一気に映像で紹介される。
続いて、そのウルトラ戦士達すべての始まりである「ウルトラマン」を作った男、金城哲夫の足跡を辿る数分の映像。


イベント世話役?の那覇市文化協会の山川氏の紹介で舞台袖から桜井浩子さん登場。おお桜井さん、初めてお目にかかります。テレビと同じだ。意外にも桜井さんも沖縄は初めてとのこと(イベントなど仕事では、という意味だったと思うが)。
桜井さんの紹介で飯島敏宏監督、続いて上原正三さんが舞台へ。山川氏も隅っこに同席。


舞台上は早くも、マイクを握って明るく元気に話す桜井さんのペース。飯島監督は落ち着いておられるが、上原さんは「緊張していて…」とボソボソ。
桜井さんのリードで、いろいろな話が飛び出す。以下、思い出せるままに(順不同):

  • 若き日の金城哲夫の強烈な印象(とにかく明るい、元気、声がでかい、目が大きくて睫毛が長い[自分もこうならマスカラもビューラーも要らないのにと桜井さんは羨ましかったそう]など)
  • ウルトラQ」が世に出るまでの経緯
  • 脚本家「千束北男」と金城哲夫
  • 上原氏が最初に脚本を書いた「Q」作品、ドタキャンの理由
  • 上原氏が円谷に入社するまでの経緯
  • 金城&上原、都合の悪いことはうちなーぐち
  • 金城&上原、セブン11話「魔の山へ飛べ」に出演?
  • 金城哲夫はとにかく出たがりだった(制服を着る役が特に好きだったようだ)
  • スタッフをエキストラとして使う時は500円のギャラを払ったが、金城哲夫は出たがりだったのでノーギャラにしていた
  • このイベントの前日までに三氏が金城哲夫ゆかりの場所を訪ねて回った印象

…など、まだまだ多くあるのだが、一旦ここまでにしてまた思い出したことから追加します。


私をはじめ、聴衆誰もが特に強く感銘を受けただろうお話を2つ:


● 「ウルトラマン」放送開始にあたり、「この番組は果たして子供たちに受け入れられるのか?」との不安が強かった。そこで番組スタッフが第1話と2話のフィルムを携え、子供たちを集めてフィルムを見せ、その反応を確かめるということをあちこちで行なっていた。
そこでの金城哲夫(子供好き)の活躍はすごかった。急ごしらえで「ウルトラマンの歌」の歌詞カードを用意し、子供たちに主題歌の「歌唱指導」をした。音楽教育に熱心な玉川学園出身の彼にはそんなことはお手のものだった。彼は天性の明るさであっという間に子供たちの心をつかみ、会場の空気を支配した。そして会場に子供たちの「ウルトラマンの歌」大合唱が…。
飯島監督にはそんな金城哲夫が眩しく見えて仕方がなかったそうだ。


● 飯島監督が3年ほど前、お孫さんと一緒に沖縄に観光旅行に来た時のこと。バスで各地の観光地を回り、バスガイドさんはその都度説明をしてくれた。
バスは金城哲夫の生地である南風原町津嘉山付近を通過中。バスガイドさんは何も言わない。バスは何事もなく走り続ける。思い余ってバスガイドさんに話しかけてみた。
「あなたウルトラマンは知ってる?」
「知ってます」
「バルタン星人知ってる?」
「知ってます」
「じゃあ金城哲夫を知ってる?(「ウルトラマンを作ったのは誰だか知ってる?」だったかも)」
「知りません」
ウルトラマンを作ったのが金城哲夫なんだよ!今その金城哲夫の家の近くを通ってるんだよ!これからはあなた一人だけでもいいからそのことをお客さんに話してくれよ!」


那覇市文化協会の山川さんは、金城哲夫について多くを知るにつれ、金城哲夫という人がいかに沖縄で知られていないか、特に「ウルトラマンの生みの親である」ということが知られていないかを痛感すると語った。それは金城哲夫が'69年に円谷プロを退社し、沖縄に帰って以降は怪獣やウルトラマンについて口にすることをせず、うちなー芝居や海洋博覧会に専念していた、そのため沖縄の人には金城哲夫といえば「海洋博の番組で司会をしてた人」程度の認識しかないということだ、とのお話だった。
今後は金城哲夫の遺したうちなー芝居を再演し、金城哲夫を沖縄の人達にもっともっと知ってほしい、とのことだった。


ウルトラの星での楽しい一時間半でした。