7月に録画したままだった「さよならジュピター」をようやく見た。


…どうにか最後まで見たけれど、どう言えばいいのか、コレ(苦笑)。


西暦2125年。地球人口は180億、近隣の小惑星などにも5億。地球は狭すぎる。もっと太陽系の他の惑星に進出を。でも太陽から遠い星は環境が厳しすぎる。どうする?
じゃあ木星内部に核融合反応を起こさせて、木星を太陽に変えちゃおう!という「木星太陽化計画」が着々と進行中。


一方地球には、行き過ぎた宇宙開発を自然の摂理に背く行為と見なす人々「ジュピター教団」。教祖様はギターを携えた歌手ピーター(小汚い薄らデブ親父。「ジーザス・クライスト・スーパースター」のヘロデ王みたいなかんじ)。教団のマスコットは教祖様に溺愛されるイルカの「ジュピター」。
教祖様とイルカへの愛のもとに集った若者たちは、美しい「ジュピター・ビーチ」(沖縄某所w)で日がな一日ゴロゴロしているが、中には過激な思想を持った者たちもおり、彼らは実際に宇宙の各地にある開発団の施設に乗り込んでは破壊活動を繰り返したりしている…。


この映画が公開された1984年頃のことを思い出してみる。
地球の環境悪化が一般的な話題になっていただろうか。GREENPEACEのような過激な環境保護活動家がすでによく知られた存在になっていただろうか。将来の地球の人口爆発が憂慮されていただろうか。地球の外に新たに居住地を求める計画なんてのが現実味をもって語られていただろうか。そうだったような気もするし、それほどでもなかったような気もする。でも、こういった“ホットな”問題を取り上げれば、俺たち私たちは時代の最先端を、否、そのもっと先を行けるんだ!と考えた人達が確かにいて、そんな人達がこの映画を作ったんだろう、とは思う。


当時この映画を作った人達の、(上記のような)地球環境の悪化に関わる問題は現代の地球人にとって最重要であって、であるから私達はこの問題に対する私達のメッセージをこの映画に込めて、多くの人々に伝えなければならないのだそうなのだ!という妙で一途な思い込みが見て取れて、見ているこっちがややもすると気恥ずかしくなる場面が多々ある。
繰り返し繰り返し映し出される、地上の楽園のような浜辺でありのままに生きる美しい人々の姿(笑)、色とりどりの熱帯魚が群れ踊る水の中で愛に包まれながら戯れる教祖様と愛くるしいイルカ(笑)、今どきの言葉を使うなら「癒し」「ヒーリング」効果のありそうな美しい地球の四季の風景の映像、教祖様の癒しの歌声(by杉田二郎)、この映画に相応しく、常に時代の最先端を体現する -- という自信に満ちた -- 松任谷由実のイメージソング、などなど。


一番困るのは、幼なじみの本田主任(太陽化計画責任者)とマリア(教団過激派メンバー)とが、久しぶりに再会していきなり繰り広げるめくるめく愛の世界。「ラブ・ガス」なるものを使って…と、この後は映画を見るなり検索するなりして下さい。恥かしいんで。


で、火星の地上絵は何だったの?ジュピター・ゴースト(イルカの声&形なのがご愛嬌)って何なの?地球人以前にも文明人がいたってことみたいだけど、で?いろんな事柄がストーリーに全く盛り込まれないままに打ち捨てられて映画が終わったみたいですが、気のせい?


これを書くために「さよならジュピター」でググったら、「さよならジュピター 最低」って項目が出て笑えました。日本映画史上最低の作品のひとつ、という見方が大勢のようで。
わかる気もします。